ゆげゆげ日誌

中小企業に勤めるサラリーマンです。育休、趣味、その他について呟いています。

初めて、父親になった日

 妻の陣痛が始まったのは、出産予定日から数日超過した日のことでした。

「なんか、陣痛が始まったかも……」

 朝からそんなLINEを受け取り、ひしっと慌てふためく僕。

 初産という事もあり、里帰り出産を選択した妻でしたが、折悪くコロナ禍の為、立ち会いは不可とのこと*1

「とにかく、朝から産院行くね」

「判った。先生や看護師さん、お義父さんやお義母さんによろしくね」

 立ち会い出来なければ男にやれることは無いと、仕事に向かう僕。結構ギリギリまで近くのホテルに泊まって事前にお見舞いに行こうかとか考えていたのですが、

・発生地域の人間と接触があった場合、二週間の待機期間が必要

・無自覚で伝染した場合、自分や妻、子供だけじゃなく、他の人達にも迷惑を掛ける可能性がある*2

 ただ、残念ながら、その日は子宮口が開かず、様子見とのこと。

「入院することになった。明日生まれるかも……」

「判った。出来る限りスマホは見られるようにしておく」

 本心を言えばすぐにでも飛んでいきたかったのですが、上記理由を思い出して我慢。出産で命に関わる可能性があることは知りつつも、直接励ますこと、身体をさすって痛みを和らげることすら出来ない自分に無力感を感じていました。

 翌日、仕事中にずっとスマホを見るわけに行かないものの、何か連絡があればすぐに対応出来るように上司には話をし、仕事集中。

 その間、LINEでぽんぽん情報が飛んできました(主にお義母さん*3から)。

・朝から陣痛促進剤を打ったこと。

・時間が掛かりそうだから、もしかしたらその日は無理かも知れないこと。

・分娩室に入ったこと。

・これから出産となりそうだと言うこと。

 

 そして、お義母さんのLINEが途絶えて約3時間後……*4

「生まれました」

 お義母さんのLINEに添付されていたのは珠のような、珠のような、珠のような……えっと、この動画、どっちなの?!

 普通、「元気な男の子です!」とか「可愛らしい女の子です!」とか言うんじゃ無いの?!

 可愛らしい赤ちゃんなのは判ったけど、添付動画に映っていたの顔含む上半身のみ。

「母子ともに健康です」

 お、おう。判った。それは凄く嬉しい。嬉しいけど……!!

「性別はどっちでした?!」

 その質問はしかし、何故か既読スルーされてしまったのでした。

 

 結局、生まれてきた子供が娘だと判ったのは、出産連絡の2時間後。妻とようやくLINEが出来てからでした。

 いや、エコーの段階で娘だろうと聞いてはいたのですが、生まれたら男の子だったという例もあるので、油断しなかっただけです。はい*5

立ち会い出産について

 妊娠中、妻と立ち会い出産したいかしたくないか、と言う会話をしたことがあります。

 今では「今度、機会があれば」と思うのですが、正直、当時は「え? するの?」と言う気分でした。

 と言うのも、幼い頃から見ていた医療ドラマなどでは

・妊婦が病院に運ばれる。

・病室の外の廊下でうろうろする夫。椅子に座る家族。

・不意に「おぎゃーおぎゃー」と聞こえる。

・「無事生まれました! 元気な男の子です!」と看護師さんが出てくる。

 そう言うイメージが強かった為、出産時の夫は出来て、産院の廊下で待たされる物だと思い込んでいたのですね。つまりメディアが悪い*6

 あ、でも、今思えば上記のシチュエーションって緊急手術ですね。そりゃ追い出されるわ。あははは。

産院の付き添いについて

 妻が産院通いを始めた際、訳あって当初は付き添うことが出来てませんでした。

 自分が病気を患っていたこと、自分の土曜日出勤と妻の産院への通院日が重なったこと等々。

 正直に言えば「妊婦さんばかりの所に男が行くのもなぁ」と言う遠慮のような気恥ずかしさのような自尊心のような色々入り交じった感情もあり、付き添いに躊躇う気持ちがあったのも事実です。

 ようやく病気からの完治をお医者さんから言い渡されたのは、妊娠5ヶ月が経過した頃。その後、妻の要望もあり着いて行くこととなったのですが……。

 病気さえ無ければもっと早く来ておけば良かった、と思った次第でした。

 エコー写真の子供はちゃんと子供していて*7

 助産師さんから色々アドバイスを受けられて*8

 先生や看護師さんから「お父さん」と呼ばれる度に気恥ずかしさが込み上げてくる、そんなことが初めての付き添い体験でした。

 女性は妊娠で母親になっていくのかも知れませんが、男性は身体の変化はありません。ただ、こういう事の積み重ねが、だんだんと自分を「父親」にしていったのかな、と思うわけです。

 結局、コロナ禍の影響もあり、妻は里帰り出産となってしまうのですが、それまで似通っていた産院では色々と教わることが出来ました。

 唯一残念なのは、コロナ禍の影響で、両親教室が潰れてしまい、育児はほぼ、ぶっつけ本番で立ち向かうことになることですが、次回があればちゃんと最初っから向き合えればと思います。

 ……まぁ、娘の面倒を見ている間に妻が産院に通う、と言う可能性も充分あるのですがね。

 斯くして徐々に父親になっていった僕は、娘の誕生と共に、名実ともに「父親」となったのでした。

 ありがとう、妻よ。産んでくれて、頑張ってくれてありがとう。

 いらっしゃい、娘よ。生まれてきてくれて、此処に来てくれてありがとう。

*1:状況が好転すれば、と言う話もあったのですが、3月の連休以降、コロナ患者が出続けていた、そんな日々のことでした。

*2:自分がされたら絶対にその人を許せないと思ったことも、辞める決心をした一因です。

*3:幸い、当時は義父義母の住む地域からはコロナ感染者が出ていなかった為、お義母さんに限っては立ち会いが認められていました。

*4:最後に送られたのはベッドの上に座り込む妻の写真でした

*5:要するに股間にぶら下がっていたら男の子。違ったら女の子という区別なので、エコーの段階で隠れている、と言う事があるようです。うちの子も妊娠5ヶ月ぐらいまで脚でガードして見えなかったのでした

*6:いや、もしかしたら今は出産を追ったドキュメントを作られているかも知れませんが、子供の頃のイメージって強くて怖いわぁ。

*7:豆粒の状態の写真を妻から見せて貰っていましたが、正直良く判りませんでした

*8:主に私が担当していた食事について。